お笑い芸人ぺこぱのネタが誕生するまでの活動まとめ

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こんにちは!

M‐1グランプリでノリツッコまない芸が話題となった「ぺこぱ」さんですが、メディアで注目されるようになるまでにどのような活動をしてきたのでしょうか?

今回はペコパの2人の活動の経緯について紹介していきたいと思います!

それではよろしくお願いします!

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2人の出会い

「ぺこぱはサンミュージック所属のコンビ芸人さんです!

シュウペイ(写真左)

1987年7月16日生まれ

神奈川県出身

資格 自動車普通免許

 

松陰寺 大勇(写真右)

(しょういんじ たいゆう)

1983年11月9日生まれ

山口県出身

資格 自動車普通免許

出典:http://www.sunmusic.org/

松陰寺さんはもともとコピーバンドをやっており、大阪の音響の専門学校に進み、エンジニアとして学びながら曲を作っていた。

裏方のエンジニアではなくバンドとして活動しようと試みるも、早々に挫折。

それから笑いに興味を持つようになり「松井祭」というピン芸人として活動しているときにバイトしていた居酒屋でシュウペイと出会います

当時のシュウペイさんはギャル男でフリーターで働いていました。

「伝説をつくりたい」というぶっ飛んだシュウペイに興味をもった松陰寺さんが一緒にお笑いをつくろうとシュウペイさんを誘いました。

学生時代に1人はいますよね、こういうぶっ飛んだ発想の人って。。天才型かただ何も考えてない自由人かに分かれるように思えます((笑)

笑いを模索する時期

2008年、2人がコンビを組んで最初に関わった事務所は、「ナイスデイ」という事務所。

調べてみましたが、存在はしているようですが所属ゼロ、活動状態も不明というあやしい所でした!

2人はそこで週に1,2回ネタ見せに通いますが、ライブ活動が無くやる意味を見失いその事務所には行かなくなった。

2009年からは、ボーイズラブ(BL)のコントと漫才をやったりHIPHOP漫才をやったりしますが、人と違うことをやっていこうと芸風を模索していきます!

事務所はオスカープロモーションに所属して活動を続けていきました!

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ペコパというコンビ名がうまれたきっかけ

とてもシンプルな決まり方でした!

シュウペイさんは175Rの曲名から取ったGLORYを提案し、松陰寺さんはチャゲアスの指環が泣いたを提案。。

。。。どっちも微妙だと思ったのは私だけではないはずです!!

 

そんなとき同じ事務所の赤井沙希さんが「ぺこぱがいいんじゃない?」と提案されあっさり決定!

当時韓国語にハマっていた沙希さんが言葉の響きがかわいいからということで提案されたみたいです!ちなみに意味は

 

「お腹が空いた」

 

迷走しながらも芸風が固まっていく

ホストっぽいキャラから女性の和服姿でローラーシューズを履いて舞台を走り回るという奇行をおこなったり、模索の時期が続きます。

着物に化粧、ツッコみどころの多い松陰寺さんがツッコみにさらにプラスしようと浮かんだのが「~とも言い切れない」というフレーズでした。

ここで事務所のオスカーがお笑いから撤退してサンミュージックへ移籍します。

このツッコみにスパイスを加えたフレーズが人気となり、おもしろ荘で優勝してM-1にも参戦するようになりました。

先輩からのアドバイスもあり、服装も着物からスーツへ変更しました。

松陰寺さんの90年代のビジュアル系バンドのイメージから紫のスーツにしたみたいです。

そうやって2人のスタイルが確立されて有名になっていきました!

 

勢いあるうちに

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まとめ

いろいろと模索して有名になることができたお2人の努力はすさまじいものだと思います!

お笑いが今より流行していた時代に比べてお笑いに対する注目度は下がっているかもしれませんが人を笑顔にする仕事は重要だと思いますので、これからも頑張っていってほしいと思います!

最後までご覧いただきありがとうございました!

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